先週、BSデジタルテレビ局の【BSジャパン】が10月1日付けで【BSテレビ東京】へ
社名変更することがわかった。
多くの人にとっては「ふうん、そっかー」くらいなニュースだと思われるのだが
私にとっては非常に感慨深いものがある。
BSデジタル局の開始は2000年、
その数年前から家電メーカー、とりわけテレビ事業のある企業では
BSデジタル対応テレビの買い替えキャンペーンで広告宣伝予算が大量投下されていた。
photo by vancouverfilmschool ※完全に写真はイメージです※
当時、私は「28歳までに出版社に入社する」という宿願を掲げ、
編集プロダクションで修行をしていた。そんなとき、トレーナー役の先輩から突然、
「これ、1人でやってみな~~」と放り投げ…、いや差し出されたのが
≪BSテレビ局全局取材企画≫だった。。
某テレビ誌での某関西系大手家電メーカーのタイアップで合計8ページ。
当然、他の案件も抱えつつ。
20代前半にかろうじてまだランクインしている年次で、
たった一人でここまで大きい企画をゼロからやることは初めてのことだった。
フレームは幹事広告代理店が決定していて、詳細な中身はなんと私がメーカーの宣伝部さんへ
直接プレゼンしてほしい、とのこと。
8ページの構成、訴求内容、取材計画など全部1人で考えて
ときは酷暑、うちわで仰ぎながら若造のプレを聞く、大手企業の社員さんたちは
当時の私にとって恐怖以外の何物でもなかった。。今もかな。。笑
その場で企画に「いいんじゃない?」とゆるい許諾を得て、
それからBSテレビ局のすべてにアポをいれて一社一社、取材して回ったあの暑い夏を
本当に忘れない。
どの局にいっても、
「マジでおまえ1人がきたの?」と思われているような、若造なりの劣等感、
なんたって当時まだ、109で服買ったりしてた年頃。
精一杯のオフィシャル姿勢で臨んだけれど、自分の身の丈感を思い知るばかりだった。
けれど、苦労して制作した8ページは、出版社、広告代理店、企業さんすべてに
大変好評をいただくことができて、
1人ですべてやり切ったこの仕事で、間違いなく私のなかで変化が起きているのを
体感することができていた。
まるで、「さなぎから変態して蝶になるときって、こんな感じすかーー!?」
って言いたくなるほど、
ココからアソコまで、という感触をもって自分のレベルが変わったことがわかったのだ。
身体的にもひどく過酷なスケジュールで、この時期、毎日ランチの代わりに
病院で点滴をしていた。マジです!
ランチが点滴♪って言いながら嬉々として病院にいっていた、ややハイになっていたことも懐かしい。
なかでもBSジャパンさんが自分にとってなぜか一番記憶に残っている取材だった。
他局の担当者が、若造の私を見ると突然フランクになるのに反して、
BSジャパンさんだけは違った。
私はそれが、社会人として認めてもらえたようでとても、とてもうれしかったのだ。
といったあの夏の記憶がドドドーーーーっと押し寄せた、
今回の名称変更のニュース。
だってあれから18年以上だもんね。
感慨深いのだよ。。
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