「あなたはエリート主義だ」。
そういわれたのは今から10年ほど前のことで、それを聞いて私が思ったのは
「この人、3.5流大学出身の私に、何を言ってんだろ」ということだった。
そんでもって、それから幾年月、最近私は彼が言わんとしていたことが分かるようになった気がする。
「エリート」っていうのを、口にしたあの人は私の(望んだわけではなかったけれど)メンターだった。そして、彼が言いたかったのは当たり前だけど学歴を指していたんではなかった。
photo by Keith Allison
地頭がよく、頭の回転が速く、
一度教えたことは二度と誤らない、
気が利いて心配りもでき、人を立てることのできる
成果にこだわる人間。徹底して努力できる人間。
たぶん、あの人は私がそうした人と仕事することを麻薬中毒みたいにして陶酔し、
こだわっているさまをみてそう言ったのだ。
実際、今でもそうだと思う。
そして誤解をおそれずに言うと、おそらく自分がそういうタイプだからだと思う。
それなので、そうした資質のある人を指導することが
私はとても得意だと思う。わかるからだ。
そういう人間が何を欲し、何に負けたくないか知っているから、
適切に課題を出し己を乗り越えさせるすべを体験から知っているのだ。
一方で最近つくづくわかったこともあって、
「そうでない人」を指導することにおいて、私はとても向いていない。
資格すらないと言ってもいいかもしれない。落ち込むけど…。
意欲を継続させること。
これがスキルだと思っていなかったのでした。
誰でも、つかみたい目標を定めたら、意欲を死ぬ気で持続させられるものだと
前提をはき違えていた。
死ぬ気が言いすぎならば、ビジネススキルの基礎としてできることだと思っていた。
でも違ってんですね。
一瞬はたぶん、嘘ではなくてそう思った人でも、
意欲を持続させて高いレベルでキープして、そこに沿った努力をし続けるということができない。
おそらくそれは、まごうかたなき「スキル」なのだということを40過ぎてわかった。
自分のことはだいぶ以前に納得していた。努力バカだと。
そしてそんな人ばかり指導してきたから、これが普通なのだと思いすぎた。
違ったんだね!!
だから、「私は人を教える立場にない」と極論に走って何もかも退いてしまうことは
浅はかにもしませんけれど、
「私の指導が向いていない人たちの指導は引き受けない」ということは死守しないと
人をつぶすだろうなと思う。
というわけで最近思うのは、
「人に乞われたときにだけ、指導を仕事として行う」。自らは志願しない。
たとえそれがボランティアであっても。
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