日のしっぽを追いかける毎日

いつも月末の最後の日が過ぎても、早々にカレンダーをリセットして

次の月に進むことを拒否しいている。

もちろん仕事をはじめとする日々の暮らしは刻一刻とあゆみを進めるのだけど。


単純に物ぐさという性質だけではないような、

「まだ終わりにしてはいけない気がする」という皮肉のように思う。

正直、日々はおそろしい速さで駆け抜けていくので

あれこもこれも丁寧に生きることからかけ離れてゆく。

ブログだって、

「あれを書きたい」と思っているうちにその日に追われて

興味のしっぽを見失っていくばかりだ。


それでも不思議なことに、9月だけは洋々とカレンダーを30日当日に破り捨てて

10月を迎えた。


理由がえてして判然としないのだが、私は明確に9月の区切りを感じて

10月に進んだ。

やり残した日々のあれこれ、小さな悔いこそありはしても

9月を精一杯、燃焼して生き切ったことは

間違いがなかったようだ。


そしてその最後の日、私は意を決して大掃除をした。

ありとあらゆるものを捨て…ということは及ばなかったけれど

累積していく小さなちり芥は、燃えるごみの日に出すことができた。


仰ぎ見る空が変わり、鼻先に感じる温度が変わる秋。


きれいに終われなくてもやり切ったと思って一日を、日々を終えたいものだ。

箱草子仮名手本。

泡沫のように浮かんではパチン、と消えていく。 その「束の間」にピンを指して標本にしてしまおう。

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