生身の人間が芸術に同化すること

どうしてかは、わからない。


どう「効果」が出るのかも、わからない。


それでもできるだけ、アートに触れた方がいいよ。

と、年若いひとたちには言うことにしている。

photo by Fede Racchi

たしかあれは、25歳くらいのとき

英国ロイヤルバレエで最高峰を極めたあと、鳴り物入りで帰国して

王子のような熱狂のなかにあった、

熊川哲也のバレエを鑑賞する機会が訪れた。

在籍していた会社では、全社員が見る社内イントラのなかに

情報や物のやり取りをできる掲示板があり、

よくここで会社で枠をもっているチケットなどをもらうことができた。


そう、たぶんこれが無料だったことが自分にとって大きい。

バレエはいい席で鑑賞しようとしたらそこそこの費用がかかる。

25歳の自分が、その金額を舞台鑑賞にあてたかというとそうはならなかったはずだ。


テレビなどで見る当時の熊川氏は、まだまだ鼻っ柱がつよくっていて

自信で輝くばかりだった。

「どんなもんだい」とばかりに観に行った私を、軽くいなしてしまった

高い、高い跳躍。

音もなく舞い降りる姿の優美なこと。

そしてバレエは、舞台美術と音楽の生演奏、何よりも踊る生身の躍動する肉体があった。


たぶん舞台鑑賞の原体験はこのときで、それ以前に鑑賞体験はもっていても

自分のなかでここまで鮮烈な何かを残すほどではなかった。


それから年に数回は、舞台を鑑賞するようになった。

たとえばオーケストラ、たとえば歌舞伎、たとえばバレエ、たとえば演劇と。


単純に楽しいから鑑賞しているのとは、何かが違う気がしている。

そして、もしあのときの感激が25歳よりうんと後だったら?と想像すると

少しだけ空恐ろしさを感じなくもないのだ。

理由はわからないのだけど。


だから、忙しい彼らにはなかなか難しいとは思うのだけれど

どうか、

どうか若いうちに人間の織り成すアートをたくさん見てほしい。


お金にも時間にも余裕ができたころではない、

今の感性の時節に。


箱草子仮名手本。

泡沫のように浮かんではパチン、と消えていく。 その「束の間」にピンを指して標本にしてしまおう。

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