実は今週、一週間、
水曜以降の新聞が読めていない。
この状態はじわじわと意識下で私を苦しめるストレスになる。
そうなると大抵において、週末に一気読みするのだけど
それはもう、苦行のようで楽しくもないし
本来、新聞を繰る紙ずれの音や時間すらも愛おしいと思う、
私の数少ないささやかな愉悦のときが台無しになってしまう。
小さい頃から活字が大好きで、しかし読書に耽るようになった理由は
「名作にいつでも触れてほしいから、世界名作全集をそろえた」という母を
悲しませたくないという幼心で、手に余る大きな大きな本の扉を
開いたのが最初だったと思う。
それからは、実年齢とフィットしないものばかり求めるようになって
小学校4年生で「ハムレット」に打ちのめされた胸ふるえる感動は
いまなお忘れじの思い出だ。
その日、私は歯科医で歯を抜いて、出血が長いこと止まらないものだから
母にベッドで安静にしているよう命じられた、手持無沙汰の午後。
母の岩波文庫の「ハムレット」を昨夜の続きから読み直し、
「…なんだこれは…」とまばたきを忘れるほどの衝撃に夢中となった。
読み終えたとき、いてもたってもいられない内なる感情の爆発に
2階の階段のてっぺんから母を呼び、叫んだ(笑)。
「ママーーーーーーーーーー!!」
血が止まらないと言って静かにしていたはずの娘が、
突如尋常でない叫び声をあげて、どんなに当時の母は驚いたことだろうな。
階下から
「なに!?どうしたの!?」と血相を変えた母の顔を見下ろし
茫然自失していた私は、突然気恥ずかしさにおそわれてもじもじしながら
「あ、、いや、、、ごめん、、、、。あの、、、、」
言い淀んでいると母が言う。
「なに!?なにがあったの!?」
「いやあー、、、その、、、」
「なによ!?!?!?!?」
意を決する。
「ハムレットが!ハムレットがああああああああ!!!!ハムレット、すごい感動したああああああ!!!!!!」
口火を切ったら止まらなくなって、何がどこが、
ことほどさように私の胸を打ったのかをまくしたてた。
私の鮮烈な活字体験だ。今もあのときの胸のふるえを思い出すことができる。
大人になってから母が、こっそりと言った。
「ママは英文科でそれこそシェイクスピアを勉強していたけれど、
何がいいんだかさっぱりわからなかったのよ。それが、小学校4年生の娘が
泣き叫ばんばかりに『ハムレット』に感激しているのを見て……」
しばし言いよどんで、続ける。
「嫉妬したわ」母よ。。。笑。
けれどこの話には後日談がある。
どうやらシェイクスピア作品のすべてがフィットする、ということはなく
私には「ハムレット」だけが光り輝く金字塔だったこと。
そして、20代の終わりに母にまたしてもこの思い出話をされたときに
「原文で読まないで、岩波で読んで。翻訳者の訳注が素晴らしいから
英語なんかで読まない方がよっぽど奥深い味がわかるから!」と言って一冊を贈った。
結論。
母も「ハムレット」にやられたのだ。
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