漢字道標「僕の今年の漢字は “迷” です」と、だしぬけに言った青年がいたのだが、おいおいちょいと早すぎやしないかい。まだ年が明けて数日だよ?と思ったら、集大成ではなく今年をどう進むかの灯明らしい。私は今年の年明けは、結構危機感をもって動いている。忙しくない現代人なんて探したってお目にかかれない昨今だ。無為無策に生きていたらそれは大海原に漂う流木のようになってしまうじゃないか。というわけで今専心しているのは「南総里見八犬伝」の上下巻を読了すること。これがばかにできないページ数であって、買ったときもベッドサイドで眺めるときもその分厚さにたじろぐ思い。16Jan2019Book
焦がれても遠かった、「チェーザレ的」なもの塩野七生さんの「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」という作品に夢中になっていっとき、本のなかの、いや、塩野さんがいきいきと甦らせ再生したチェーザレ像にガチでほれ込んでしまったことがある。10年ほど前のことだ。11Jul2018Book
眼中の人、「九条武子」を思ふ。書きたいな、あの人のことを書いておきたいな、といつも思っていても、片りんすら書ける気がしなくてそのままにしている。九条武子さんのことだ。西本願寺の姫と言われた女性で、「大正3美人」の1人に数えられた才媛。くだんの芥川ホリックだった時代、芥川に連なる人たちや場所、などなどを芋づる式に辿って行ったことがある。そのなかで当然、親友であった菊池寛にもぶちあたる。菊池と言えば、文芸春秋社の創設者であり、自身も優れた流行作家のひとりだった。菊池の作品は、今になってみると芥川より私の好みかもしれず、なかでも「無憂華夫人」こそは、この九条武子をモデルにしたものといわれ柳原白蓮から流れ着いて九条武子を調べていた私は夢中になって読みほしたものだ。「無憂...22Jun2018Book
青春は、ないものねだり。ときに、芥川龍之介の代名詞として『敗北の文学』と言われることがある。そして痛さ全快だった十代の終わりに、私は「芥川龍之介を好きになろう」と決めた。自殺した二枚目の文豪を好きな自分、というブランディングがしたかったんだろうと今になって分析してみるとわかるのだ。実際、芥川の文章は美しく、丹念に言葉を吟味されて選ばれたいわく「玉(ぎょく)のような」きらめく文章だった。すぐに魅了され、食費を削って当時岩波書店から新版で登場した芥川龍之介全集を毎月買いそろえたものだ。15Jun2018Book
拝啓、ハムレット。「オフィーリアシンドローム」からも醒める頃実は今週、一週間、水曜以降の新聞が読めていない。この状態はじわじわと意識下で私を苦しめるストレスになる。そうなると大抵において、週末に一気読みするのだけどそれはもう、苦行のようで楽しくもないし本来、新聞を繰る紙ずれの音や時間すらも愛おしいと思う、私の数少ないささやかな愉悦のときが台無しになってしまう。11May2018Book
かわいそうなポール・ニザン。最近の天気予報は、よく当たる。つい昨日まで毎日のようにポール・ニザンのことを考えていたというのに。ポール・ニザンの著作を一冊も読んだことがないのに、毎年毎年、5月になると私は彼を思い出す。正しくは、「彼が遺した言葉」を思い出すのだ。08May2018Book