前回のつづきです。
photo by by RL Johnson
大学入試問題の文章を読んでいた。
読んでいてのめり込んでしまって、気づくと息をとめていたほどだ。
もう、ひと言で事足りた。
「どうせ、この世に生まれてきたのならば、何かをのこして死んでいきたいじゃないですか。」
この一文を読んだとき、文字どおり氷解するようにして
高校の3年間を費やして悩み続けてきた答えがわかったのだ。
机は物を置くため。
椅子は座るため。
ペンは書くため。
もの言わぬこれらのものにさえ、存在する確かな理由がある。
では己は?
私の存在理由とは、いったいなんなのだろう!?
と悩んできたけれどちがうんだ。
人生とは、一生をかけて「それ」を探す旅なのだ……
だから、今「それ」がわかってしまったら、死ぬときなのだ…
私は今、「それ」をわかっていなくていい!!
それが、生きることなんだ!!!!!!!
と一瞬にして謎が解けたのだった。
入試問題を前にしているというのに、私ときたら
その問いに答えを見つけ出すことができたことに
まったく興奮してしまっていた。
あのときの胸の高鳴り、血液が一気に温度をもって冷え切った全身に
巡り始めるような、ああそれはつまりたぶんきっと
「生きている」。
それを刹那に実感することができたのだ。
不思議なことに、そのとたんに
今まで見ていた世界は、モノクロのように面白味のない停滞したものだったのに
にわかに鮮やかな色を放ち、躍動するのをありありと感じることができた。
ああ、これが生きているということ。
結局その入試を受けた大学に、受かったのか落ちたのかも思い出せないほど
私にとっては内村鑑三の「後世への最大遺物」という文章だけが残った。
あれからむやみに存在理由を求めなくなった私の生は、
果たして。。。。
そして先日、2日連続で彼の名前に出逢うこととなったのだった。
つづく
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