(閑話休題)
「得意技、意思決定」な自分は、
いつの間にか、友人知人のほとんどが社長さんや事業主ばかりとなっている。
というか、自分自身も一度起業を経験して現在はフリーランサーなのだけれど
関心事の真ん中が、マネジメントになってから必然的に
そういうネットワークになっていったのかもしれない。けれど無自覚ではあった。
photo by Eva Rinaldi Celebrity and Live Music Photographer
友人であり仕事仲間でもある1人のシャチョーさんがいる。
3年くらいの付き合いだけれど、もう仕事を一緒にした回数よりも
ただ単純にごはんを食べたり、長時間お茶しておしゃべりする方が機会としては多い人だ。
ありがたいのは、根本的にご自身も経営者であるため、
話の感度が同じ目線で肩がこらない。それなのに気軽に
「今からお茶できますか?」とお互い誘い合える気軽さのある関係になれたことに
素直に感謝している。
先日は久しぶりに、私の相談事というトピックでお茶をした。
ここ数年はこのシャチョーさんのマネジメントにおけるお悩みについて
一緒に考えたり、私を相手に話すことでお考えを整理なさっていたり
そういう主旨での会であったためだ。
多くの経営者がそうであるように、
私も基本的に他人に相談することは滅多にない。
その日も、相談の体で会いながら、自分の決断の適切さを他者に話すことで
探っていたに他ならない。
大抵の経営者はそうだと思う。さらのまんまで相談事をすることは
ほとんどないのではないだろうか。
ある程度、悩みの本質が見えた段階で
自分の考えを適切にまとめあげていくために、
他者の存在が必要なんだろうと思う。
それも、マネジメント観点のある存在が。
結局、答えの出ている話をテーマにして小さなジャムをしたようなもので
自然と話題は日常的なことにすり替わって行った。
そのなかで、
「どうしてもう一度、自分で社長をしないの?」と問われる。
「興味がないだけでなく、才能がない。一度やればそんなことはわかるものだ。
それに、社長とは何か成し遂げたいことがあるものだけど、私にそれはない。
私はただ、“いい仕事をしたい” という欲求しかないのだから」。
そんな話をすると、
「じゃあ、夢はなんなの?」とまたしても問われる。
「んーー、顔をもうなめし皮みたいになって、吹きさらしの潮風に身も心も
漂白されているような年寄りになった状態で、海沿いの小さな町で花を育てて暮らしたいんですよ。でも、そうなる前にね」と、私。
「正しく枯れたいんですよ。少しずつ少しずつ、不要なほどに抗わず、
年齢にそって正しく枯れていきたい」と語る私の目は、
おそらくきらきらしていたんじゃないかと思うほどだ。
これは本当にそう考えていることで、四季がきちんとめぐるように
自分も一個の生命として、正しく枯れてゆきたいと思う。
プッと吹き出してシャチョーさん、
「それはとても賛成だけれど、だからといってまだまだ早いからね」
と,、呆れながらもほほ笑むのだった。
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