「ムダメシ」をたらふく食ったかどうか

学歴に人生は左右されるだろうか?

ずっとたぶん、この問いに対して明確な答えを持たなかった。


しかし個人的な体験と他者の事例を観察して行きついた答えは、


「最初の就職」は、学歴に左右される。

しかし、その後は個人に左右される。

ということ。


学校を卒業して最初の就職などは、学校名だけでアタックする権利すら

与えられないことなんてよくあるお話。

ましてそこに女性であったらなおさら。

悲観論ではなく、実際そうだった。


けれど、面白いのはそこからなのだ!


第二新卒以降は、完全に勝負の土俵が拓ける不思議!


個人が築く実績が、いくらでも道を拓いていくから人生捨てたもんじゃない。

だらこそ思う。

もう新卒時のアウトプットは限られているのだから、

就職のことよりも学生時代を満喫すべきなんじゃないかって。

いやでもいつか働くんだから、就職したらそればっかなんだから、

学生時代はその「ムダメシ」を充分に、たらふくに食い尽くせばいい。


うちのちょっと変な父はよく言っていた。

大学に行きたくないといっていた私に、(ただの反抗期)

「頼むから、4年間というムダメシを食ってきてくれ。なんにも学ばなくていい。

伊達にムダメシとは呼ばないもんだよ。この時間をただ過ごしてきてほしいんだよ」と。


何言ってるんだ、この親父は。当時はずっとそう思っていた。

けれど今ならわかるのだ。

それは真実だったな、と。


最高学府に入った人は、おそらくきっと私なんかがマンガを読みふけって

バスケに熱中するあまり、四六時中呆けて過ごす…、なんて中高生活を送っていない。

そして、最高学府が手にする多数の選択肢を持つべくもない道に進んだのなら。

1年でも2年でも。4年でも8年でも、その人に許された「ムダメシ」の季節を

「ムダメシ」を食いまくることに懸けていい。

なぜならそれが、「最初の就職」以降にがっつり効いてくるからだ。


私のような劣等生は、本当にひどい成績だった。

ただ、学校は好きだったのでほぼ休んだことがないし、授業もほとんど出席した。

夜遊びを覚え、友をつくり、恋をして、

悲嘆にくれては、大笑いした日。

何が残ったか?形あるものは何も。

就職もさんざんだった。けれど今は違う。


父よ、ムダメシの価値がやっとわかったよ。

今度の父の日には、そう言って電話でもしようか。



箱草子仮名手本。

泡沫のように浮かんではパチン、と消えていく。 その「束の間」にピンを指して標本にしてしまおう。

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