郵便ポストにふくらみのある白い封筒を見つけ、
宛先に見覚えのある名を認めて、心臓がぎゅっとつかまれるような思い。
あれほど待ち焦がれ、いつか待つのを諦めたそれは、
手紙を出してから早くも半年がたち、
私のなかでの記憶も薄れてきた頃に、突如現れたのだった。
photo by daoro
ポストから部屋に持ち帰っても、おそろしくて封を開けるのに
たまった仕事を次々と片付け、結果3時間も費やしてしまった。
私はさまざまなわけあって、10代の頃の人生と隔絶された今を生きている。
生まれ故郷はすでになく、当時の友人知人もない。
40を過ぎてから、望郷の思い断ちがたく…
それは文字どおり“望郷”としか呼べない代物の感情であり、
多くのお世話になった知己へ年賀状をしたためるタイミングにかこつけ、
中学生時代の部活の顧問に30年ぶり以上となる手紙を書いたのだった。
大学を出たてのその先生は、先生といっても年若く
私たちにとってはお兄さんのようなものだった。
今では地元では校長先生などを務められ、30年も前の担任でもない生徒のことなど
覚えていないのも当たり前だったけれど、
年末の独特の空気が、神妙にならざるを得ない雰囲気が、
私にムダともいえる勇気をかき起こしてしまったのだった。
最初は返事をもらえたらうれしいだろうな、と思い、
やがて迷惑だったのだ、と落ち込み、そうしていつか忘れ去っていた。
勇気を出して読んだそれは、あたたかな涙を流させるものだった。
先生は私だけでなく、2歳上の同じ部にいた姉のことまで覚えていてくれた。
おそらくは、30年ぶりにする告白にしては重すぎたであろう私の独白を
適度にすくい上げ、けれど淡々と先生自身の人生の四季に
想いを漂わせてくれる内容であったことに、
先生の変わらぬやさしさを感じた。
帰れない季節、
でも確かに輝きと共に存在している私の過去が
静かに報われるのを感じた。
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