眼中の人、「九条武子」を思ふ。

書きたいな、あの人のことを書いておきたいな、

といつも思っていても、片りんすら書ける気がしなくてそのままにしている。

九条武子さんのことだ。

西本願寺の姫と言われた女性で、「大正3美人」の1人に数えられた才媛。

くだんの芥川ホリックだった時代、

芥川に連なる人たちや場所、などなどを芋づる式に辿って行ったことがある。

そのなかで当然、親友であった菊池寛にもぶちあたる。


菊池と言えば、文芸春秋社の創設者であり、自身も優れた流行作家のひとりだった。

菊池の作品は、今になってみると芥川より私の好みかもしれず、

なかでも「無憂華夫人」こそは、この九条武子をモデルにしたものといわれ

柳原白蓮から流れ着いて九条武子を調べていた私は夢中になって読みほしたものだ。


「無憂華夫人」も、実際の武子も、結婚後間をおかずして10数年の別居婚、

胸に秘めた真なる恋人がいたともされるが真相は藪のなか。

この時代、知識教養のある文化水準の高かった女性は歌を詠んでいることが多く、

武子も優れた歌人として後世に残る歌を詠んでいる。

柳原白蓮しかり、立場や家柄で表立って意見を述べることのできないなかで

歌に思いを込める姿は、なんとなく今のSNSの在り方とリンクしなくもない。

武子のことをことあるごとに考えている私だが、

先日の日経新聞に武子をモデルにした髙島屋呉服店のポスター画像について

考察したコラムを見つけた。

正真正銘の深窓の令嬢だった武子が、このようなポスターに登場することは

かなり物議をかもしたようだ。

しかし、当世きっての才媛とあって、女性たちへの影響力はとてつもなかったという

武子なので、そういう意味では非常に効果があったんだろうなと推測するのも面白い。


九条武子、

どうしてかくも気になる存在なのか。


箱草子仮名手本。

泡沫のように浮かんではパチン、と消えていく。 その「束の間」にピンを指して標本にしてしまおう。

0コメント

  • 1000 / 1000