ときに、芥川龍之介の代名詞として『敗北の文学』と言われることがある。
そして痛さ全快だった十代の終わりに、私は「芥川龍之介を好きになろう」と決めた。
自殺した二枚目の文豪を好きな自分、というブランディングがしたかったんだろうと
今になって分析してみるとわかるのだ。
実際、芥川の文章は美しく、丹念に言葉を吟味されて選ばれた
いわく「玉(ぎょく)のような」きらめく文章だった。
すぐに魅了され、食費を削って当時岩波書店から新版で登場した
芥川龍之介全集を毎月買いそろえたものだ。
photo by Jonathan Kos-Read
けれど晩年に近づくにつれ、芥川の文学は異常さを極めていく。
死とたわむれているような芥川の文章は、それでもなおきらめきを増していき
私は芥川のその脆さと弱さをも愛した。
しかし、その芥川本人はというと、「人生に向き合っている作家」として
志賀直哉に憧憬を抱いていく。
あら芥川が言うのなら、と、志賀直哉を幾つか読む。
「え?何が?あなた(芥川)の方が全然素晴らしいじゃない!詩的な物の何もない
志賀直哉なんて相手にならないよ!」と、
内なる芥川を励ます私だったが、
ここ最近わかったことがある。
人間は、自分にないものにあこがれるんですね。
私は人間としては非常に志賀直哉的だ。
生きる力の強い人間だという客観的な感想がある。私は生活に人生に
向き合っていくことにとてもアグレッシブなタイプだと思う。
そして学生時代の自分は、そのことを自覚しながらも
死の淵で遊ぶ芥川を欲したわけ。
生活に芸術がないと思い込んでいた。
生活は芸術に劣ると思い込んでいた。
生活にかかりきりになって芸術がないがしろになっている自分の人生は
かなしいものんだと信じた。
かなしい人間なのだ、私は。そう思っていたのだ。
それからずいぶん経って、
さらに人生は難しいものになっていき、手に負えなくなりつつも
そこにがっぷり四つで組み合って生きていた自分は、
芥川の自殺の理由であった、
「将来に対するある漠然とした不安」というものを考えたとき
それを乗り越えることを徹底して避けた弱い作家よりも
人間としては私のようにみっともなくても生きる選択を止めない方が上等なんじゃないのか?
そう思ったのだ。
さらにもっと経って。
上等とか下等とか人間にはもちろんないことを知り、
芥川という人の選択だっただけ、という結論に至る。
それでも不思議と、芥川にまみれたあの時節は
自分にとって芸術的な葛藤に溺れた、ある意味では幸福な時代だったのではないか。
そんなふうに思うようになったのだ。
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