6月の憂鬱。日曜の夜。湿度をふくむ風。

今週はとてもハードで、そろそろ体力気力の最高潮でのキープは

限界になるなぁ、20日が過ぎたら倒れるだろうから、

なんとかそれまで持ちこたえられる状態を努めて心がけよう。

そう思って6月に臨み、そして予定どおり18日から発熱を解熱剤で

押し込め、20日夜には解熱剤を止めていったん放出してみたところ

きれいにデトックスしたかのように過ごした。

photo by Nomadic Lass

けれど、内々にふり積もる懸念と悔いに週末はさいなまれ

混沌とした時を過ごしてしまった。


私は元来が内向的で内省的な人間のタイプであるので

実際、アウトプットがインプットと比べて過ぎた場合は

いったんこういう時間を持たないと、次の歩が踏み出せないことが多い。


こういうとき、心ってやつのすさまじさに驚愕としてしまう。

物理的な一歩は目に見える代わりに案外と小さいものだけど

「終わることのないように思える鬱々とした状態」の心から

次の瞬間、

「霧が晴れたような視界の拡がり」を感じられたときというのは、

その状態の様変わりさや、マイナスからプラスへと一瞬で転じるそのスピードに

心の旅というものの光年レベルの飛翔に感じ入ってしまうのだ。


そうはいうものの、今夜しぶしぶとベッドから起き上がってぼんやりとした頭のなかで

光年の心の旅は味わうことができていないことがわかった。

30分、何も頭を去来しないようにしてひたすらウォーキングマシーンで歩いて

そのままざぶりと熱い湯につかり、

滂沱の汗を流しても、ほんの少量こびりついた滓が洗い流せない。


直視しないとならない本当の問題を、辛くも通り抜けてしまったせいだと思う。


面白いな、人間の心って!


箱草子仮名手本。

泡沫のように浮かんではパチン、と消えていく。 その「束の間」にピンを指して標本にしてしまおう。

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