滋養をもたらす、小さな人の穢れなき魂。

目が覚めてふと、からだの思いのほかのらくさを感じて小さく驚いたりする。

わりに難しくなくベッドから起き上がれるし、

起きしなのからだが重くない。

こんなにも、酷暑がからだに負担となっていたとは。

睡蓮は、日差しが強くなる日中にはもう、その花弁を重たく閉じてしまう。

だから早朝の、まあ午前10時半あたりまでに見に行けば

こんなふうにすがしく華憐な姿を拝むことができる。

私は夏休みに、この小さな睡蓮の沼へ挨拶にいくことを

ことのほか大事にしていたりする。ささやかなことだけれど。


先週までの夏休み、親元に顔をだすと姉や妹家族にも会うことができた。

ふだんの自分の生活リズムとはうってかわって、

非常に規則正しいなかで過ごす、甥や姪の加わった「新しき団らん」は

すっかり自分勝手に生きることに飽いた私に新鮮な拘束力となる。


小さな甥っこの全力のハグは、

邪心のない穢れなき魂を両腕に感じるかのようで少しだけおそれおおい。

しかしそれが、ことのほか私に他者への愛情という

滋養となっていることを

あの小さな命は知る由もないのだろう。

箱草子仮名手本。

泡沫のように浮かんではパチン、と消えていく。 その「束の間」にピンを指して標本にしてしまおう。

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