粗い目のフィルターならば、楽に濾過することもできように。

風が強い一日だ。

photo by Jacobo Canady

コンタクトに埃が入らないようにしないといけないし、髪の毛もめちゃめちゃになったりするけれど

強い風に吹かれることは、

意外と嫌いではない。

何かこう、日々拭い去れていない滞りみたいなものが、

吹きすさぶ強風に否が応にもさらされることで、

肉体のフィルターへ風が後押しとなり、漠々たるむきだしの素に

再会できるような

そんな気がするからだ。

その自然の威力に抗うように身をかがめて何かをディフェンスしてみても

打ち付けるようにこの身を通過するそれから

結局のところ守り切れるものなんてない、そんな明るい諦念の気すらするのだ。


そして不思議と、

強い風はドラマを連れてくるようなイメージがある。


18歳の春、真っ青な空に浮かぶ白い雲が

あっという間に流されていく姿に見入った。

「もういやだ。早く何者かになりたい。こんな生活はもういやだ」

大学受験に失敗して2回目の受験シーズンを乗り越え、合否の発表を待つその季節というのは

春の到来と共に、毎日のように強い風がよく吹いた。

浪人生というのは学生とも言えないし、無職だし、

ああ、今何かでニュースに出るような犯罪に巻き込まれてしまったら

無職って肩書になるのか。なんてことだ!

まるで社会から、「おまえなど要らぬ」と言われているような気がして

毎日つらかった。頑張ったら必ず大学生になれるというものでもない

受験というものは、生まれて初めて保証のない荒野に飛び立つ恐怖に似ていた。


結果を待つ間というのは、受験勉強から解放されても

気がかりを心に重く宿しているから常に心ここにあらずといった日々だ。

そんな毎日に強く吹く風は、なんだか胸騒ぎをかきたて

一層心暗く、不安にのみこまれていく時を過ごしたものだった。


けれど不思議なもので、

どんどん流される雲間にのぞく、きらめく青い空を眺めながら

びゅうびゅうとふきすさぶ春の嵐に身を任せていると

次第に濁りが濾過されていくのを実感できていった。

それは単純に不安とか悲しみとかそういったものだけでなく、

未来にたちこめていた霧のかかったような不鮮明なビジョンまで

吹きさらってくれるような胸のすく思いがしていった。


この新鮮な驚きは忘れがたく、

そしてその後何年たっても強い風の吹く日々は

このときの不安とときめきとをセットで感じるようになっていく。


風よ、

洗い流してしまえ、既に手放すべきものがあるならば!!



箱草子仮名手本。

泡沫のように浮かんではパチン、と消えていく。 その「束の間」にピンを指して標本にしてしまおう。

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