名作コピー「いい空は青い。」がスゴイ理由コートの前をかき合わせて襟元からの風の侵入を拒みながら歩きだすと、見とれるほどの青い空が広がる。ここ連日、雨のふらない東京ではからっからの乾燥を憂う声とうらはらに、見事としか言いようのないスカイブルーが心を爽快にしてゆく。そうすると決まって、「いい空は青い。」というあまりにも有名すぎる全日空のコピーを思いだすのだ。このコピーが秀逸なのは、数え上げること自体がナンセンスのような加点ポイントが多数あるのだけど、しらけてしまうのを承知であえて今回は書いてみよう。18Jan2019Express
詫び寂びを感じられるような顔相になったら、いっちょまえだな数日にわたって何度も胸を去来する、久しく会っていない友人のことを思っていた。やり取りがあるわけでなく、なのにこんなに思い出すのだから「そのとき」なのだろう、と思って実に数年ぶりとなる連絡をしてみた。「元気?変わりなく過ごしていると思うけど、最近めちゃくちゃAくんのことを思い出すので連絡してみたよ」。すると間を置かずしての返信に、「元気!今青山一丁目。くる?」マジかー。「行く!外苑前から行く!」と即レス。ちなみに外苑前と青山一丁目の駅は隣接している。こういう、得も言われぬタイミングというのを切実に大切にしている。17Jan2019Express
忘我、潮音。浮遊する体父の腕という居心地のよい安全地帯から、ふいに降ろされたその場所がいかにも体験したことのないものだったことをよく覚えている。というか、私のなかのもっとも古い記憶であり、それは3歳のときの良く晴れた日のことだ。記憶を鮮烈なものにしている大きな原因が、父の腕(かいな)から降ろされたその場所が「海」だったからだ!波打ち際のごく浅瀬であったが、私は生まれて初めての感覚に夢中で耽っていた。フルボリュームの雑音としか言い難い、潮音が懐かしき両親の声すらかき消して、おぼつかない足取りで立ち尽くす私を、いったんは寄せた波が還っていくタイミングで強く押し戻しているのだ。この不思議な感覚!ごうごうと吹きすさぶ潮音のなかで、3歳の私は得も言われぬ不思議な感...11Dec2018Express
鈍色の空、年の瀬の色。鉛色と呼ぶにふさわしい、これぞ冬の空の色。コートの前をかきあわせて、風の侵入を防ぎながら歩く。待ってましたとばかりにきらめきを増していくのは街路樹をいろどるイルミネーションのまたたき。10Dec2018Express
漠々たる海原にて、漂白されたる自己へ出逢いたし。このブログには、仕事ではない…、要するに依頼された書かなくてはならないことではなく、私自身の言葉を書く場所が欲しいなーと思って始めました。そして、右腕が痛んで職業病になるほどいろんなものを書いて書き倒して脳みそも考えるべきことに容量を使われて、最近はプスプスと音をたててショートしそうな勢いのなか、シャワーでなく熱い湯船に入れたときとか、秋の陽光を頬に感じられた瞬間にとか、ふっと、書きたいと思うことがよぎったりします。06Nov2018Express
我思う故に我あり、我あり故に我思う先週は本当に疲労困憊した。病後5年もたつけれど、年齢は上がるばかりだし体力が本当にない。それでも、血沸き肉躍るとでも表現せざるを得ない興奮を身の内から感じている。30Sep2018Express