「庶民の」とか
「市井の」という表現を、気に入ってあえて使う。
たとえば、お祝いといえばシャンペンがつきものだけど
ビールほど「庶民の祝い酒」としてふさわしい酒もない。
共通するのは、いずれも泡。
一方はきらめくようにして細かく立ち上る儚い無数の泡であり、
キャンバスはゴールドの繻子のよう。
もう一方は大胆にもりもりと、入道雲のように湧き上がる泡。
麦の実りそのままの黄金色の液体は蠱惑的ですらあり。
もとよりお酒があまり好きではなかった私は、
シャンペンの飲みやすさに助けられながら、そしてその華やかなムードに酔った。
いかにも華奢な細いフルートグラスをささやかに持つさまも
なんだかとても女性らしい飲み物だと感じていた。
ファッション誌の仕事をしていたこともあって、連日連夜パーティーがつづくと
ずっと片手にフルートグラスを固定しているかのように
幾本ものシャンペンが空けられていった。まるで狂乱の時代。
5年前に大病をして治療をしてから、不思議なことが起こった!
グラスに半分も飲み干すことのできなかったビールが、大好きになってしまった。
炭酸が苦手で、ビールの苦みも意味不明、
しかもなんだか粗野でダイナミックで、ひるんでしまうイメージがあったのに、
不思議と大好きだったワインが苦手になってしまい、
完全なビール党になってしまったのだ。
そしてつくづく思う。
ビールで交わす乾杯には独特の『ほがらかさ』がある。
太陽の匂いがする。
いつからか祝杯は、シャンペンからビールが定番へと変わった。
「これほどまでに庶民のお祝いにあったお酒はないよー」と思うようになった。
細い儚いフルートグラスを気遣って乾杯するのではなく、
落としても割れなそうなジョッキを盛大にぶつけあって乾杯とする。
なぜこんな記事を書いているのか?
それはもう、ビールが恋しいからに決まっている。
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