「美しい人」

いろんな新規事業を立ち上げてきて、

うまくいったものもあれば、そうでなかったものもある。

ずっとずっと新規事業を育てていくことをよしとしてきたけれど

5年前に大病をしたときに、

あれ、もうそういうのいいかな。

そう思った。

photo by Bev Goodwin

それで、「自分」というものの完成を追求していくことこそが

新規事業なんではないか、と思い至った。

どう説明したらわかりよいだろうか。

人間としての理想を持ち、良心を判断基準にしながら生きていく。

仕事していく。

そうなると人間の完成を目指す旅がまさしく、新規事業だった。


これはやっぱり、一度死にかけたもんだから(笑)

神様がくださった第二の人生を生かされる意味を考えたときに

第一の人生でした後悔や反省を、第二の人生ではすべてできうる限り

刈り取って生きていくしか意味がないんだろうな、と思った。


邪な考えで人を出し抜いたのなら、

目的のために手段を択ばず人を傷つけたのなら、

異常な完璧主義でチームを壊したのなら、

他人を、自分を、ないがしろにして生きてきたのなら。


これら全部刈り取っていくと決めた。


清廉潔白居士でないから、それなりに困難な事業だ。

でもだからこそこの生涯を賭けるに値する。


それにいまだ失敗してばかりいる。

PDCAは上手に機能しないこともある。

でもこの事業の完成だけからは逃げない。いや、

逃げられないのだ。


先日、こんな私に僥倖が訪れた。


私のために良心を奮ってくれた人がいて、その態度の美しさに涙した。

その人に「なぜそこまで」と尋ねると

「あなたが私にしてくれてきたから。同じことをしているだけ」と言われた。

社交辞令、お世辞半分だとしても

これこそが新規事業として大事にしてきたことのひとつの顕れであった。


ダメな自分を受け入れながらダメな自分として生きながら、

それでも理想の完成を見たい。

その人のおかげでまた、遠い遠い道のりを歩きだせる力を得た。


箱草子仮名手本。

泡沫のように浮かんではパチン、と消えていく。 その「束の間」にピンを指して標本にしてしまおう。

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