忘我、潮音。浮遊する体

父の腕という居心地のよい安全地帯から、ふいに降ろされたその場所が

いかにも体験したことのないものだったことをよく覚えている。

というか、私のなかのもっとも古い記憶であり、それは3歳のときの

良く晴れた日のことだ。

記憶を鮮烈なものにしている大きな原因が、父の腕(かいな)から降ろされた

その場所が「海」だったからだ!波打ち際のごく浅瀬であったが、

私は生まれて初めての感覚に夢中で耽っていた。

フルボリュームの雑音としか言い難い、潮音が懐かしき両親の声すら

かき消して、おぼつかない足取りで立ち尽くす私を、

いったんは寄せた波が還っていくタイミングで強く押し戻しているのだ。

この不思議な感覚!

ごうごうと吹きすさぶ潮音のなかで、3歳の私は得も言われぬ不思議な感覚を

全身で味わっていた。


まだ水の冷たい頃だったようで、その間はおそらくごく短い時間だったと思う。

父がまたあっさりと私を抱き上げたからだ。

けれどあの立っているのに眩暈のなかにいるような浮遊感や、

波が引くときに大地ごとさらっていくような迫力は

私の脳にくっきりと鮮やかな記憶を遺した。


この日のことを覚えていると言っても、母は笑って請け合わない。

なにしろ私がその日着ていた洋服は、その後すっかりつんつるてんになり

等身大の人形の衣装になったのだ。


感覚で覚えたものというのは忘れがたい記憶になるのかもしれない。

もしかしたらこの記憶は、

もっとも古いというだけでなく、もっとも五感を揺さぶったものなのかもしれない。


箱草子仮名手本。

泡沫のように浮かんではパチン、と消えていく。 その「束の間」にピンを指して標本にしてしまおう。

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