漢字道標

「僕の今年の漢字は “迷” です」と、だしぬけに言った青年がいたのだが、

おいおいちょいと早すぎやしないかい。まだ年が明けて数日だよ?

と思ったら、集大成ではなく今年をどう進むかの灯明らしい。


私は今年の年明けは、結構危機感をもって動いている。

忙しくない現代人なんて探したってお目にかかれない昨今だ。

無為無策に生きていたらそれは大海原に漂う流木のようになってしまうじゃないか。

というわけで今専心しているのは「南総里見八犬伝」の上下巻を読了すること。

これがばかにできないページ数であって、買ったときもベッドサイドで眺めるときも

その分厚さにたじろぐ思い。

すごいね、フリー素材にこんなのあるんだ!


南総里見八犬伝略して里見八犬伝の舞台は、千葉県安房方面、さらに言えば館山城が登場する。

館山には年に数回訪れる非常に縁深き土地。たぶん自分は、今までの人生でもっとも本を読んでいたのが小学生だったと思うのだが、理由は両親共に文学部卒で家に書斎的な部屋があり、そこには二人のバラエティに富んだ蔵書がストックされていて、幼稚園生で活字中毒と化した私は、興味をもってというのではなく、「字を読んでいたい」という理由だけでその部屋のあらゆる書籍を読んだというか、眺めていた。

今、里見八犬伝を再読してみて思う。

今までいろんな本に出逢ってきた。

「好きな本」ではなく、「人生を変えた本を挙げよ」と言われたら2冊推挙したいが、

それはいずれもそのむさぼり読んだ時代に邂逅を果たした、

シェイクスピアの「ハムレット」と、曲亭馬琴の「南総里見八犬伝」だ。


人生をどう変えたのよ?と言われたら口ごもるしかないのだが、

文学のフォースを細胞レベルで知ったから、と答える。

面白かった、興味深かった、悲しかった、さまざまな読後感てあるものだと思う。

この2冊はそういうものを軽く凌駕していた。

両頬をパパパパパパン!と往復ビンタされたかのような衝撃は、今まで気づかないでよしとしていた眠れる何かを強力な作用で無理に起こすような感覚に近い。

それを知ってしまったら、もう知らなかった頃には何もかもが戻れないのだ。

この、後戻りができなくなった感覚が、私には「人生を変えた」と言ってしかるべきなんだと思う。


というわけで、私の今年の漢字は

「仁義礼智忠信孝悌」で決まりすね。え?多いって?

多くない。振り返りでなく生きる指針に掲げるのなら、ちょうどよいってものだろう。


箱草子仮名手本。

泡沫のように浮かんではパチン、と消えていく。 その「束の間」にピンを指して標本にしてしまおう。

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